年明けて。
2002年5月31日うみくらげさん、お気に入りありがとうございました^^
暮れからもめたまま年が明けた。「今年こそ、幸せになりたい。もうこういうことから逃れたい」心底思いました。
夫の実家に子供達と年末年始、帰ることになり、いつもは夫も子供が寝てからの帰宅で、寝顔も見ていなかったが、お正月だけは見ることができた。
元旦に彼女に夫が電話をすると「嫁とセックスするな。私と嫁とどっちをとるんだ」と言われたらしい。
「お前の方が強いな」と言われた。
「女として当然だと思うけど。彼女がいうこと。私は言わなかっただけだよ。当たり前じゃない」
こういうことを言ってくる彼女も彼女だよなぁ。。。今まで自分にだけ愛情が向いていると思っていたことがショックだったのだろう。
私はそれを4年も耐えてきたのだ。
夫は「あいつのことも愛してるし、横に好きな女が寝ていたらセックスしないわけない。妻がいる男だと思ってあきらめるか、別れるしかない」とここでもまた彼女に選択権をゆだねた夫。
お正月長男の夜驚症を目の当たりにした夫が言った。
「こいつこんなに大きいのになんで夜こんな風になるんだ?!」
「あの離婚話以来だよ。」それだけ伝えた。
お正月明けるとすぐ彼女の誕生日で、夫は彼女とホテルに泊まった。
もうはちゃめちゃだ。。。
帰宅した夫に「もうやっぱり無理。別れたい」と告げるとこれまた自分勝手な答えがかえってきた。
「俺はお前と子供と家族を続けると決めている。そして、お前と別れるならば、同等に彼女とも別れると決めている。けれど家庭は続けないとならないからお前と男と女としては別れても、家庭は続き、一緒に暮らす。彼女とは別れたらそれまでになる。そうしたら、別れさせられたとお前を憎んで生活していくことになるだろう」
生き地獄だった。こんな話ある?なんでこんなことにつきあわされて一生送らないといけないの?
頭が私もおかしくなりそうで、心療内科に通おうかと夫に相談した。言われた言葉にまた傷を作るだけだった。
「お前がおかしくなるのはつらい。でも薬に頼られてるのもいやだ。お前に男ができて心が安らぐなら作ってくれたほうが薬よりもマシ」といわれた。
彼女も夫といざこざがあるたび、違う男とホテルに行くことを繰り返していたらしい。
「あなたは女二人を不幸にしているだけ。彼女が幸せって答えたからって鵜呑みにしてるだけ。優しいのは自己満足以外の何者でもない」
自分でもそう思ってると言っていたが、妻という女と妻以外の楽しさを与えてくれる女とバランスがきっと彼にはとれていたのだろう。
挙句、彼女から我が家と夫の実家に年賀状が来た。
我が家のは家族全員の名前が書いてあり、裏面には「みなさまのご多幸をお祈りします」と書いてあった。
すべてを知っている夫の両親にも、彼女は知られていることを知っているのに「ご無沙汰していますが、お元気ですか?」と書かれていたそうだ。
夫に「なぜこういう無神経なことができるかわからない。私が彼女と同じ立場ならば絶対にしない」といったら怒られた。
これで私は夫と彼女から卒業することを決めた。
子供は父親を慕っているから別れることはできないけれど、私自身を変えることはできる。
もういい加減、ここまで最低の女とその最低女を愛してる夫を愛することができなくなってしまった。
私は私のできることをすべてやることができるまで、家族は続けていく。
自分自身から逃げないために。
それを決意してからの毎日はさらに孤独と戦いになった。
そんなとき、ふとあの人に相談してみたのが最初に日記に書いたきっかけでした。
「貴方はだんなさんのためだけに生きてるわけじゃないんだよ。とっても難しいけれど、子供には父親が必要だしね。でも、強くなって欲しい」
といわれた。
あくる日日記を書いたから読んで欲しいと彼かわ言われて読んだ。
とてもとても大切な言葉が書いてあって、私を人として大切にしてくれているのがわかる日記だった。
暮れからもめたまま年が明けた。「今年こそ、幸せになりたい。もうこういうことから逃れたい」心底思いました。
夫の実家に子供達と年末年始、帰ることになり、いつもは夫も子供が寝てからの帰宅で、寝顔も見ていなかったが、お正月だけは見ることができた。
元旦に彼女に夫が電話をすると「嫁とセックスするな。私と嫁とどっちをとるんだ」と言われたらしい。
「お前の方が強いな」と言われた。
「女として当然だと思うけど。彼女がいうこと。私は言わなかっただけだよ。当たり前じゃない」
こういうことを言ってくる彼女も彼女だよなぁ。。。今まで自分にだけ愛情が向いていると思っていたことがショックだったのだろう。
私はそれを4年も耐えてきたのだ。
夫は「あいつのことも愛してるし、横に好きな女が寝ていたらセックスしないわけない。妻がいる男だと思ってあきらめるか、別れるしかない」とここでもまた彼女に選択権をゆだねた夫。
お正月長男の夜驚症を目の当たりにした夫が言った。
「こいつこんなに大きいのになんで夜こんな風になるんだ?!」
「あの離婚話以来だよ。」それだけ伝えた。
お正月明けるとすぐ彼女の誕生日で、夫は彼女とホテルに泊まった。
もうはちゃめちゃだ。。。
帰宅した夫に「もうやっぱり無理。別れたい」と告げるとこれまた自分勝手な答えがかえってきた。
「俺はお前と子供と家族を続けると決めている。そして、お前と別れるならば、同等に彼女とも別れると決めている。けれど家庭は続けないとならないからお前と男と女としては別れても、家庭は続き、一緒に暮らす。彼女とは別れたらそれまでになる。そうしたら、別れさせられたとお前を憎んで生活していくことになるだろう」
生き地獄だった。こんな話ある?なんでこんなことにつきあわされて一生送らないといけないの?
頭が私もおかしくなりそうで、心療内科に通おうかと夫に相談した。言われた言葉にまた傷を作るだけだった。
「お前がおかしくなるのはつらい。でも薬に頼られてるのもいやだ。お前に男ができて心が安らぐなら作ってくれたほうが薬よりもマシ」といわれた。
彼女も夫といざこざがあるたび、違う男とホテルに行くことを繰り返していたらしい。
「あなたは女二人を不幸にしているだけ。彼女が幸せって答えたからって鵜呑みにしてるだけ。優しいのは自己満足以外の何者でもない」
自分でもそう思ってると言っていたが、妻という女と妻以外の楽しさを与えてくれる女とバランスがきっと彼にはとれていたのだろう。
挙句、彼女から我が家と夫の実家に年賀状が来た。
我が家のは家族全員の名前が書いてあり、裏面には「みなさまのご多幸をお祈りします」と書いてあった。
すべてを知っている夫の両親にも、彼女は知られていることを知っているのに「ご無沙汰していますが、お元気ですか?」と書かれていたそうだ。
夫に「なぜこういう無神経なことができるかわからない。私が彼女と同じ立場ならば絶対にしない」といったら怒られた。
これで私は夫と彼女から卒業することを決めた。
子供は父親を慕っているから別れることはできないけれど、私自身を変えることはできる。
もういい加減、ここまで最低の女とその最低女を愛してる夫を愛することができなくなってしまった。
私は私のできることをすべてやることができるまで、家族は続けていく。
自分自身から逃げないために。
それを決意してからの毎日はさらに孤独と戦いになった。
そんなとき、ふとあの人に相談してみたのが最初に日記に書いたきっかけでした。
「貴方はだんなさんのためだけに生きてるわけじゃないんだよ。とっても難しいけれど、子供には父親が必要だしね。でも、強くなって欲しい」
といわれた。
あくる日日記を書いたから読んで欲しいと彼かわ言われて読んだ。
とてもとても大切な言葉が書いてあって、私を人として大切にしてくれているのがわかる日記だった。
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